東京地方裁判所 昭和23年(ワ)2287号・昭23年(ワ)3198号 判決
東京都中央区銀座五丁目二番地所在木造瓦葺二階建二戸建店舗一棟建坪二十五坪二階三十二坪が原告(反訴被告)の所有に属することを確定する。
原告(反訴被告)は被告(反訴原告)にたいし右建物中北側の一戸建坪十七坪五合二階十五坪を讓渡し且之を使用せしめる債務がないことを確定する。
被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
訴訟費用は本訴、反訴共に全部被告(反訴原告)の負担とする。
二、事 実
第一、請求の趣旨
原告(反訴被告)(以下原告という)訴訟代理人は本訴につき主文第一、二項同趣旨並びに「訴訟費用は被告(反訴原告)(以下被告という)の負担とする」との判決を求め反訴につき主文第三項同旨並に「訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。被告訴訟代理人本訴につき、「原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、反訴につき、「主文第二項掲記の建物が被告の所有に属することを確定する。原告は被告にたいし、右建物の明渡をせよ。原告は被告にたいし昭和二十三年五月十一日以降右明渡すみまで一ケ月金二十七万円の割合による金員の支拂をせよ。原告は被告にたいし右建物につき、所有権移轉登記の手続をせよ。訴訟費用は原告の負担とする」との判決並に建物明渡及び金員支拂の部分につき仮執行の宣言を求めた。
第二請求の原因
一、本訴にたいする請求の原因
(一) 原告はかねて主文第一項掲記の建物(以下「本件建物」という)の敷地四十五坪(以下「本件土地」という)の地上にあつた右敷地の地主訴外伊東治正所有の家屋を賃借していたが右家屋が戰災によつて燒失したため、右土地につき、罹災土地借地借家臨時処理法第二條の優先賃借権を有するものである。
(二) 原告は訴外坂井ふきの仲介で被告との間に昭和二十一年十二月二十四日別紙第一の契約(以下「第一の契約」という)を締結した。
(三) 被告は「第一の契約」の期限迄に建物を完成せず、昭和二十二年八月十一日代理人森を当時岐阜縣下の疎開先で病気静養中の原告のもとに派遣し既に請負人に建築代金五十万円を支拂ずみであり、電報一本で直ちに着手し同年十月末日までに必ず完成するから契約を改訂してもらいたいと強引に原告に要求し遂に別紙第二の契約(以下「第二の契約」という)を締結させた。
「第一の契約」と「第二の契約」とを対比すると「第一の契約」では本件建物の内主文第二項掲記の左側の一戸(以下「左側の建物」という)の使用権のみを被告にあたえることゝしていたのを「第二の契約」で所有権も被告にみとめる趣旨と変更したかの如く見えるけれども元來本件建物の敷地並にその附近の土地は訴外伊東治正の所有地であつて從來から地主の伊東家では土地を賃貸せず地上の建物はすべて伊東家の所有名義とし、之を賃貸する形式をとつていたものであつて、原告としても本件契約当時はこの様な形式をとつて土地を使用する外ないと考えていてたとえ一部分でも本件建物を被告は勿論原告も所有することが出來るとは思つていなかつたしこのことは被告もその代理人森も十分知つていたことである。森が原告にたいして「第一の契約」の改訂を要求したのは建築の完成期限及毎月の賣上金の五分を支拂うとの條項も削除して貰いたいとの点のみであつて、原告は最初之を拒絶したが長時間に渉る交渉の末伊東家にたいする負担金を被告が支拂うことを條件として前記條項の削除を承認し、森が起草した原稿を訴外中沢忠勇が清書して原告に署名を求めたが、原告は病中でもあり、暑中長時間の交渉の末疲れ切つていたので契約條項を熟読する気力もなく、改訂されたのは前記森との話合の点のみと信じて署名し「左側の建物」の所有権を被告にみとめることなどが記載してあろうとは夢にも思つていなかつたものである。この原告の眞意は伊東家所有地の使用関係を知悉している森は十分知つていた筈であるから建物の所有関係につき「第一の契約」を「第二の契約」記載のとおり変更する合意は成立しなかつたものであり、「第二の契約」によつて変更されたのは單に建物完成の期限及び賣上金に関する部分のみである。
(四) 被告は「第二の契約」の期限を経過しても尚本件建物を完成しなかつたので原告は昭和二十三年四月十六日到達の書面で被告に対いし十日以内に完成しなければ本件契約を解除する旨の催告並に條件附解除の意思表示をした。
(五) 被告は右意思表示を受領して直ちに原告を訪れ、どんな約束でもするからせめて工事完成期限を同月末日迄延期し右意思表示を撤回して貰いたいと懇請したが原告が之を拒絶したので、本件建物の請負人訴外池田捷司を秋田市より呼びよせ同人をして更に原告に懇請せしめその結果同月二十四日原被告及び右訴外人間で別紙第三の契約(以下「第三の契約」という)が締結された。
(六) 同年五月九日迄に本件建物はなお未完成であつたがともかくも居住できる様になつたので、同日原告は之に移轉して現実に右占有し且「第三の契約」の第二條(これは本契約中原告と池田との間の契約であつて本件建物の所有権が池田より原告に直接移轉する時期を定めたものである)によつて本件建物は原告の所有に帰したが被告は池田にたいして右契約第三條所定の金員を所定の期日までに支拂わず、本件建物も完成しなかつたので第四條によつて原被告間及び被告池田間の從前の契約はすべて解除され、被告は一切の権利を失い本件建物の一部にたいする使用権をうることは出來ないことになつた。
原告は「第三の契約」第二條によつて本件建物の所有権を取得したが、之を取得するに至つたのはもと被告が本件建物を建築して原告に提供する契約があつたことと池田が被告から工事代金の支拂をうける権利を有していたことによるものであるから原、被告間及び被告池田間の契約が解除された現在では原告の本件建物の所有権取得は法律上の原因を欠くとも考えられるので、原告はその代理人藤田玖平をして池田と折衝せしめ同月十三日池田は本件建物の所有権が原告に帰属することをみとめて之を原告に引渡し原告はその当時の時價を追つて協定の上池田に支拂う旨を約し同年六月二十日金二十万円、昭和二十四年二月二十八日金十二万円、同年十二月十九日金三万円、昭和二十五年一月二十二日金五万円以上合計金四十万円を支拂い右契約を全部履行したからも早原告の不当利得の問題が生ずる余地はなく本件建物全部の所有権は原告に帰属したものである。
(七) しかるに被告は本件建物中「左側の建物」の所有権を主張し、その明渡を原告に求めているので請求の趣旨記載のような判決を求める。
二、本訴にたいする答弁
(一) の中原告が本件土地上の家屋を罹災前から賃借していたことは認める。
(二) は認める。
(三) の中「第二の契約」を締結したことは認めるが他は爭う。被告は建物所有権の帰属を明確ならしめるために「第二の契約」を結んだのであつて、これにより「第一の契約」は消滅した。「第一の契約」締結直後被告は直ちに建築準備に着手したが年末年始の際で当時の交通事情その他一般社会事情から秋田市に居住する請負人池田との交渉、図面の作成等に月余を費すうち昭和二十二年二月八日臨時建築等制限規則が施行され改めて許可を要することとなり同年七月に至つてようやくその許可をえたものであるから「第一の契約」の履行期限を怠つたことは全く被告の責に帰すべからざる原因によるものである。
(四) の中意思表示を受領したことは認める。
「第二の契約の期限を経過した事情は昭和二十二年九月中関東東北地方の大水害があり、続いて救済物資、食糧、石炭等の緊急輸送、鉄道サボ等があつて秋田市よりの建築用材の輸送が不可能になり漸く同年十一月に至つてはじめて本件建物の建築用材の輸送が開始されたためである。而も被告は池田にたいして建築代金として昭和二十三年四月二十四日までに立替金もふくめ金三十二万円余を支拂つているから被告はなすべきことはすべて盡しているものであつて「第二の契約」の期限を経過したことについても被告は全然責任がない。
(五) の中「第三の契約」に調印したことは認めるがそれは被告の意思に基かないものである。
(イ) 被告は原告より原告が(四)に主張する催告書を受領したので事を円満に解決したいと思い、池田を秋田より呼びよせ原告と折衝させたが、その結果につき何の連絡もないうちに昭和二十三年四月二十四日突然池田より用向を知らされず銀座五丁目佐野正方に呼び出され殊更被告の後援者森を除外し原告側の弁護士藤田玖平列席の上で、予め復写紙でかきあげられていた「第三の契約」に調印させられたが、被告はもとより教育のない法律上のことにくらい女性であるからその眞意にもとずいて契約を締結させるには十分説明して納得させねばならないにも拘らず秋田弁の池田が早口に読むのを聞かされただけで、殆んど説明をうけることもなく而も強度の近眼であるのに眼鏡を持参せず之を読むことも出來なかつたのに只調印しさえすれば万事はうまくゆくと言はれ、それを信じて調印してしまつたものでその印鑑も持参していなかつたのをあらかじめ池田が被告の留守宅をあざむいて無断で取り寄せておいたものであつた。即ち被告は「第三の契約」の具体的内容を理解せず、之が自分の権利義務に重大な影響があるものとは全然考えずに形の上だけで調印させられたもので、契約の合意は成立していない。
(ロ) 「第三の契約」によれば工事完成の責任及び從來の工事の遅延の責任は被告が負うものとしてあるが工事は請負人池田がやることであり又遅延も不可抗力が池田の責任であるから、池田の加わつた契約でかゝる責任を被告が負うという不合理を被告が承認する筈もないし又「第三の契約」の趣旨が工事が完成すれば本件建物全部の所有権が原告に帰属するというのであれば折角被告が出資して建てた家が根こそぎ原告の所有となるという不可解なことゝなり、五月十日迄に本件建物全部の工事が完成しなければ被告は契約を解除され一切の権利を失うというのであれば、もともと被告自身の家屋で何等原告と関係のない「左側の建物」の完成が遅れると被告が不利益を蒙るという不合理なことになるのであるから之等の点についても被告が了知していれば「第三の契約」に調印しなかつたことは極めて明らかであるからこのことからも「第三の契約」が被告の意思によらないことは明瞭である。
(ハ) 仮に「第三の契約」が有効に成立しているとしてもその條項は次の通り解釈しなければならない。
(a) 「左側の建物」は被告自身のものであるからいつ完成しようと被告の勝手である。從つて第一條の「工事」とは原告に提供すべき右側の建物の工事のことであり、だからこそ池田は右側の工事に全力を盡して之を期限までに完成したのである。
(b) 被告が義務を果し建物を完成したのに之を根こそぎ巻き上げられるというようなことは理窟に合はないし被告が工事代金を負担して、もともと何の縁故もない原告に本件建物全部をあたえる理由もないから第二條の「本件家屋」及「家屋」はいずれも右側の建物をさすものであつてこのことは文理上からも当然であり、契約締結当時の被告は勿論、他の関係者もすべてそのように考えていた。
(c) 第三條は被告と池田との間の從來の請負契約を再確認しそこに定められた工事完成引渡迄に支拂うべき第二回の三十万円の工事代金支拂期限を昭和二十三年五月十日と定めたものである。ところが被告は昭和二十二年九月五日第一回の工事金十万円を池田に支拂い、その後右期限迄に立替金十八万千九百十二円五十銭をふくめ合計金四十六万円を支拂つているから本條第一号の工事代金支拂債務を完全に履行した上むしろ超過して支拂つているものである。
(d) (a)と同様の理由で第四條の「工事」とは右側の建物の工事をいうものである。
尚、この工事は請負人がするものであつてこれが未完成のばあい工事責任者たる請負人にたいする被告の権利が消滅するということは甚だしく不合理であるから本條中この部分は無効と解すべきである。
(六) のうち本件建物に居住できるようになつたこと、原告がこれに移轉したことは認めるが他は爭う。
「第三の契約」中原告と池田との間には何等の契約も存しない。從つて原告と被告と池田との契約が解除されたとすればその後も原告、池田間の契約が存続するということはありえない。
三、反訴にたいする請求の原因
(一) 被告は昭和二十一年十二月二十四、五日頃原告との間で主文第一項掲記の建物を被告が建築し、完成の上は之を半分宛所有する契約を締結した。
(二) 右建物は、昭和二十三年五月十日に完成したが原告は右建物全部の所有権を主張し之を自己名義で所有権保存登記をし被告に使用せしむべき右側の建物を被告に使用させないから之の所有権確定と明渡並に所有権移轉登記手続を求める。
(三) 本件建物のうち被告が使用すべき左側の建物で被告の職業である飲食店を経営すればこの建物の二階に和室三室、一階にコンクリート土間テーブル三組の客席があり、來客数は一日に二階十五人一階十五人賣上高一日二階一人千五百円十五人で二万二千五百円一階一人五百円、十五人で七千五百円合計三万円、利益金は賣上高の三割として一日九千円一ケ月二十七万円が最少のものとしても、見積ることができる。よつて被告が使用を開始すべき昭和二十三年五月十一日以降右側の建物を原告が明渡すまで一ケ月金二十七万円の割合による損害金を請求する。
四、反訴にたいする答弁
本訴の請求の原因と同趣旨<立証省略>
三、理 由
一、本件建物の敷地四十五坪(本件土地)の上に建つていた建物が、戰災で燒失するまで原告が之に居住していたことは、被告の爭はない事実であり、原告本人訊問の結果によると、右敷地は訴外伊東治正の所有に属し、同訴外人は所有の土地を他人に使用せしめるときは借地権を設定せず、使用者に建物を建築させた上で之の所有権を自己に移轉せしめて、之を賃貸することとし、原告もかかる契約に從つて、右敷地上の建物を右訴外人より賃借していた事実が認められる。
二、原被告本人訊問の各結果及び証人坂井ふきの証言を綜合すると、原告は本件土地上の建物に居住中罹災し、一時築地の所有家屋に移轉したが、之も罹災したゝめ、岐阜縣下に疎開して終戰をむかえ、その後も同縣下に居住していたが、昭和二十一年秋上京した際、近隣の者から、本件土地上に二戸の建物を他人に建築させ、そのうち一戸を一定の賣上歩合金をとつて、他人に使用させ、他の一戸を自己が使用することとすれば比較的容易に建物を再建できるし、附近にもかゝる例が多い旨を聞かされ当時病気静養中でもあり、岐阜縣に居住するため、建築の計画監督も出來ないし、又建築資金も必ずしも十分ではなかつたので、この様な契約を他人と締結する気になり、別紙「第一の契約」と同旨の契約書草稿及び建築の設計略図を、古くより本件土地の前に、居住していた訴外坂井ふきに手交し、かゝる契約の締結を希望する者があれば、紹介して貰いたいと言い残して岐阜縣下に帰つた事実及び被告はかねて銀座で料理店を経営していて、終戰後その再開を企てていたところ、年來の友人坂井より、前段認定の原告の意図及び契約書草稿を提示され、記載の條件に應じて契約を締結するため岐阜縣下の原告のもとに赴き、昭和二十一年十二月二十四日「第一の契約」を締結して帰京し、契約書(甲第一号証)に立会人として、坂井の署名捺印をえ、自らも署名捺印した上原告に送付した事実が認定出來る。
三、前に一で認定した事実及証人坂井ふきの証言並に原告本人訊問の結果を綜合すると、原告は「第一の契約」を締結する当時、本件土地に建築する建物の所有権は地主に提供しなければならないものと思つていたものであり、右契約の契約書草稿を坂井に交付するときも、この旨を同人に通じており、又同人も被告にこの旨を告げていた事実が認められるし、この事実と、成立に爭のない甲第一号証及び被告本人訊問の結果を綜合すれば「第一の契約」締結当時被告も本件建物建築後その一部の所有権も取得することは出來ないことを諒承していたことがうかがわれ、被告本人訊問の結果中この認定に反する部分は信用しない。
尚、かゝる解釈に從うと、「第一の契約」は一見甚しく被告に不利な契約であるように思われるが、前に認定したように、原告としても本件建物の所有権は地主に提供するつもりでいたものであり、又本件土地が東京都内において有数の高い價値をもつ場所にあることは証明を要しない事実であるから、自ら建築した本件建物の所有権を取得しなくとも、本件土地の半分の使用権をうることができれば、被告としても不当な失費をしたことにはならず、原告にとつても甚だしい暴利を貪ることにはならないと考えられる。
四、本件建物が「第一の契約」の期限である昭和二十二年三月末日迄に完成しなかつたことは被告の明らかに爭わない事実であるが、これが遅延した事情は、被告本人訊問の結果及び証人中沢忠勇、池田捷司の証言(第一、二回)を綜合すると、池田は秋田市の土建業者であつて、終戰後被告と知りあい、被告が他人に建築してもらつて、営業する予定だつた建物を建築主が他に賣却して、被告はそれを利用できなくなつたのに同情し、又自分でも戰後建築業者として、東京に進出したいと思つていたので、昭和二十一年暮に、本件建物の建築を金四十五万円で請負い、建築許可手続は被告がなし、請負代金の内金二十万円を至急支拂うことを條件として、昭和二十二年四月中に完成する旨を約して、秋田市にもどり、被告より送付してきた図面を基礎に、建築許可をうるための図面を作成し、昭和二十二年一月二十日頃上京して之を中沢忠勇(原告の義弟で、被告より建築許可申請の手続をすることを依頼され、又原告よりも工事の監督方を命ぜられていたもの)に手交した。中沢は右図面を添付して同年二月上旬建築許可の申請をしようとしたところ、臨時建築等制限規則が公布されたゝめ急速に建築許可をうることが困難になり、一時は中沢より被告に対して契約の解消を申出たこともあつたが、池田の異議にあつて再び建築許可をうるため努力することになり、漸く同年五月下旬に建築許可が下付され之と前後して、建築資材の割当証明をうけ、之等を秋田市の池田宛送付したが、池田は被告が請負代金を全然支拂わないため送荷できないと称して、木材を発送しなかつた等の事情によることが認められる。
五、成立に爭のない乙第一号証の一、証人森山巍、池田捷司(第一、二回)の各証言を綜合すると、次の事実が認められる。被告は森と古くからの知合であつて、昭和二十一年秋頃再会し同人の経営する江の島の旅館にやとわれ、又本件建物の建築について援助をもとめることになつた。そこで同人に池田との間の請負契約書を示したところ、その内容が工事中請負代金を増額できるようになつていて、不安だということで、その改訂を直接池田に交渉することになり、昭和二十二年七月森、被告同伴の上、秋田市に池田を訪れ、被告と池田との間で改めて請負契約書(乙第一号証の一)をとりかわすに至つた。その契約によれば、工事金は六十万円とし、同年七月末日迄に内十万円を工事完成引渡迄に三十万円を支拂い、残金二十万円は完成引渡後一年以内に支拂うこととし、物價変動等により増額の必要を生じたときは、残額支拂の際、協議の上考慮する。工事は同年七月下旬迄に着手し、十月下旬迄に完成する等を約してあつた。尚被告が池田を訪れた当時池田は本件建物の建築に使用すべき材料の切組を開始しており、被告よりの工事金支拂がないため一時中止していたものである。
六、成立に爭のない甲第二号証、証人中沢忠勇、森巍の各証言、原被告本人訊問の各結果並に前に一及三で認定又は判断した事実を綜合すると、「第二の契約」を締結した経緯は次の通り認定される。
被告は本件建物建築について森の援助を仰ぐことになり、同人に原告との間の「第一の契約」書を示したところ、森はその内容が著しく被告に不利だから改訂する必要があるといつて、自ら改訂した案と、改訂の申入とを書面にしたゝめて、中沢に託して原告のもとに持参させたが、原告の容れるところとならずに、森に返還された。
(右契約書の改訂案が如何なるものであつたか、証拠として提出されていないが、森は『「第一の契約」中本件建物を原告の設計に從つて建築するという点、被告に場所の使用権のみを認め、建物の所有権は認めないという点、及び賣上歩合金とその最低責任額を被告が原告に支拂わなければならない点が被告に著しく不利で改訂しなければならないと思つた部分である』と証言している。)
契約の改訂を拒絶されたので、昭和二十二年八月十日森は直接原告に交渉するため岐阜縣迄出掛けていつた。当時は暑いさかりで、原告は病気静養中でもあつたので、同日は交渉を謝絶し、翌十一日早朝森が宿泊した旅館に原告自ら次男純男及中沢を伴つて、森を訪れ、対談した。森の交渉の内容は「第一の契約」中、建築完成期限を延期する外、設計を誰がやるかという点、及賣上歩合金の点に集中していたものと認められる。その点だけでも原告は仲々容れなかつたが、森は既に池田に工事金五十万円を支拂済であつて、直ちに建築に取り掛れる等のことも言つて原告を信用させ、交渉が頓坐すると話題をかえて巧妙に話をすゝめ、暑中六時間余の折衝で原告を根負けさせ、遂に右三点は承諾させて、工事は同年十月末日迄に完成するが、設計は原被告共同してなし、賣上歩合金の代りに地主にたいする負担金を被告が負担することとした。
この折衝で本件建物の所有権が問題になつたが、又原告が「第二の契約」書に記載されてある様に「左側の建物」の所有権を被告に與えることを承諾したかどうかは、重要な爭点であるが、前に三で認定した「第一の契約」締結当時被告は本件建物の所有権をその一部といえども取得しえないものと思つていたこと。及「第一の契約」締結の事情を被告から聞いていた森も当然このことを知つていたと推測され、この推定を覆す証拠はないことを綜合して、森は被告が所有権を取得しえないことは甚だ不利だとは思つていたにしてもこの点原告に折衝しても原告が讓る筈はないことはよく知つており、從つてこの点深くは交渉しなかつたものと認められ、一方原告も――前に一で認定したとおり、「本件建物の所有権を被告は勿論原告も取得しえないものと思つていたこと、及びそう思つているのが当然であること」『「第一の契約」を変更して被告の所有権をみとめることは原告にとつて極めて重大な讓歩であるが、建築が遅れた責任といえばむしろ被告にあつて、もし契約を解消することになれば、被告は多大の損害を蒙ることになるに反し、原告にはこれらの事情が認められないのみならず、かゝる讓歩をして迄被告に建築を依頼しなければならない程、原告が本件建物の建築方法に窮していたと思われる特別な事情を証明しうる証拠が全然ないこと』及び証人藤田玖平の証言によつて認められる『原告は後に藤田の説明をきく迄「第二の契約」の文面が被告に本件建物の一部の所有権をみとめているかたちになつていることに気がついていなかつたこと』――之等のことを綜合して原告も当時被告に本件建物の所有権をあたえることなどは全然考えていなかつたものと認められる。
すなわち「第二の契約」書はその文面からあたかも本件建物の所有権の一部を被告が取得するかの様に記載されてはいるがこの点に関する原告と森の間の合意は勿論森から深く交渉することもなかつたものであつて、かゝる文面になつているのは、森の長時間にわたる交渉に根負けして、本件建物の設計の点を賣上歩合金の点及び建築完成時期を昭和二十二年十月末日迄延長する点について、原告が讓歩したのに乘じ「第一の契約」を書きかえて「第二の契約」書を作成する際、森が強引に無断で記載したもので、この記載は之を清書した中沢も、之に署名捺印した原告も、前に認定したとおり、「暑中長時間の應待によつて疲労困憊していたこと」と「被告に所有権をみとめることなど夢にも考えていなかつたこと」から全然気がつかなかつたものであつて、「第二の契約」書に記載されている「左側の建物を被告の所有とする合意」は全然なかつたものと認定する外はない。この点に関する証人森巍の証言は措信できない。
七、本件建物工事の進捗状況並に遅延の事情について、請負人池田が陳述するところは、同人の証言(第一、二回)及び成立に爭のない甲第二十八号証の一、二(池田捷司証人訊問調書)を要約すれば次の通りである。
「池田は被告より本件建物建築の依頼をうけ、昭和二十二年三月頃より用材の切組みをはじめたが、被告より約束の二十万円の入金がないので、工事を中止していたところ、同年七月被告が森同伴の上秋田市に來たので、前掲の請負契約を締結して直ちに工事を再開した。その契約によると、同年七月末日迄に被告より十万円支拂うこととなつていたが、その支拂もなく、それを督促すると、被告は当時本件土地について原告と折衝中だから、しばらく待つてほしいとのことだつたので、せつかく用材を切組んでも、土地の使用ができなくなれば、無駄になつてしまうと憤慨し、又工事を中止したが、漸く同年九月になつて森から十万円の入金があつたので、切組をつゞけ、翌二十三年一月迄に東京に発送し、本件土地で工事を開始して、同年二月中旬頃迄に建前を終り、一應の大工仕事が一段落ついた。尤も当時疊、建具、瓦斯、電気、水道は、はいつていなかつた、それ迄に被告の求めによる設計変更もあり、池田も工事進行上の資金に詰つていたので、被告に工事金を請求したが、被告より二回にわけて四万円の入金があつた丈で、それ以上の都合はし兼ねるから、一時工事を中止されたい旨の申入れが、池田の代理人林徳一にあつた。そこで同年二月下旬工事を中止していたが、森と折衝の末、十万円の支拂をうける約束ができて、同年三月下旬から工事を再開したが、その金も完全には、はいらなかつたので結局四月上旬迄には、壁は荒壁のみぬり、屋根も八分通りしか完成していなかつた。要するに本件建物の建築工事が遅延したのは、被告及び森から工事金が円滑にはいらなかつたためである。」
右遅延の事情について被告及び森が陳述するところは、被告本人訊問の結果、成立に爭のない乙第十一号証の一(被告本人の訊問調書)証人森巍の証言を要約すれば、次の通りである。
「昭和二十二年七月に池田と請負契約をしてから、最初に支拂うべき十万円を支拂わなかつたのは、池田より材木を送つてこなかつたためである。而も同年九月には十万円支拂つているのであり、契約書(乙第一号証の一)によれば、本件建物の完成引渡迄残金を支拂う必要はないのに、右の外相当多額の金を池田に支拂つている外尠なからぬ立替金もあるから、池田の工事金の支拂が遅れたから工事が進行しなかつたとの主張は全くの強弁にすぎない。」
本件建物の工事遅延の責任が池田にあるか、それとも被告にあるかは、本件の判断に直接の関係はないからそれをいづれとも判断しないが、「第二の契約」によれば、被告は原告にたいして本件建物を昭和二十二年十月末日迄に完成する義務を負つていることは明らかであり、原告本人訊問の結果によると、右期限は原告の生業である毛皮商の営業のシーズンにはいる時期であつて、之に遅れることは当該シーズンの営業利益を失うことになるから、特に之に重点をおき、この時期迄に完成すれば被告の建築完成の遅延も宥恕しうる趣旨で「第二の契約」で特にこの時迄期限の延長を承諾したものと認められるから工事遅延の責任が池田にあるか、被告にあるかは別論として、少くとも被告は工事遅延によつて、原告にたいし、甚だしい義務違反を犯していることが明らかであり、仮にその直接の責任を池田が負担すべきものとしても之は被告池田間のことであつて、原告には対抗できないものである。
八、昭和二十三年四月十五日翌十六日到達の書面で原告より被告にたいし、到達後十日以内に本件建物の建築を完成させよ、それ迄に完成しないときは、契約を解除する旨の催告並に條件附解除の意思表示(甲第三号証の一)がなされたことは当事者間に爭がない。この意思表示がなされた事情は成立に爭のない甲第二十八号証の二(池田捷司証人訊問調書)証人藤田玖平、中沢忠勇の各証言及原告本人訊問の結果を綜合すると次の通り認定される。
東京にいて、本件建物建築の進捗状況を見ていた中沢は、池田から「昭和二十三年三月末日迄に完成する予定だ」と聞いていたので、その旨原告に報告したが、同月中旬頃工事が中絶してしまつたので、中沢は池田の代理人林にその理由をたづねたところ、「被告から金策がつかないから工事を中止してくれとの話があつたので中絶している」との返事で何時完成するか見通しがつかない有様だつた。原告は中沢からそのことを聞き、「上京の準備ができているから今更そんなことを言はれても困る兎も角も三月中に居住できる様に被告に依頼してくれ」と答え、中沢はその旨被告と池田に交渉したが、被告は金策につき自信がなく、池田は「四月十日頃迄には完成するつもりだ」とのことだつたので、そのことを原告に通知しておいた。四月十日原告は本件建物にはいるつもりで上京したところ、「まだ未完成で到底居住できない」とのことだつたのでとりあえず中沢の下宿先に二泊し、次で本件建物に近い知人佐野正方に同居し、その頃年來の知人である弁護士藤田玖平に本件建物建築に関する被告との契約につき相談した。藤田は「第一」及「第二」の契約書を見、この契約締結の経緯、建築進行の状況を聞き、今後到底被告を信頼できないと思つたので、その旨原告に話し、直接自ら秋田市の池田のもとに赴き交渉することとし、とりあえず被告にたいし、催告並に條件附解除の意思表示をなす様にすすめ、その文案を起案して、原告に交付した。この文案にもとづいて原告が被告にたいして、かかる意思表示をなしたものである。
すなわち、この意思表示は、むしろ原告が工事遅延を隠忍した末に発せられたものと認められ、本件建物を被告から取上げるために唐突に謀略的に発せられたものとは認め難い。
九、右意思表示を被告が受領してから「第三の契約」が締結せらるるに至る迄の事情は証人坂井ふき、藤田玖平、池田捷司(第一、二回)の各証言、原被告本人訊問の各結果及び成立に爭のない乙第十一号証の一(被告本人の訊問調書)を綜合して次の通り認定される。
被告は前記催告書を受領してから直ちに坂井を同伴して原告に会い、催告書を撤回し、工事期限を延長する様懇願したけれども、原告から一切を藤田にまかせてあるから直接の交渉はうけないと拒絶された。そこで被告は電報で池田の上京をもとめ、池田は同月二十一日頃上京して、被告及森が居住する江の島金亀棲に赴き、事情を聽取した上、被告より更に原告に折衝する様依頼され、又森も自分が出ると却つて話を面倒にするかもしれないから一切をまかすとのことだつたので同月二十三日單身原告方で原告及び藤田にたいし、建築完成を同年五月十日迄猶予せられる様懇請し、右期日迄に完成すること、之に遅れたときは、被告は一切の権利を失うこと等を定めた藤田の立案にかかる契約を原被告及び池田間で締結することを條件として、前記意思表示を撤回して貰うことに成功した。この契約が別紙第三の契約であつて翌二十四日池田よりの電話によつて被告は上京し、指定された銀座佐野正方で、原告藤田、池田等と会合した。席上池田は「第三の契約」を締結することを條件として、催告書の撤回につきやつと原告の同意をえたこと、を告げ、「第三の契約」の各條項につき説明し、被告も解除の意思表示が撤回され建築完成期限が猶予されたことを喜び、この契約の内容を納得した上、署名調印したものである。
被告は「第三の契約」の内容を理解することなしに、唯形の上丈無理に調印させられたものである旨を「事実」(五)(イ)に摘示したとおり主張し、被告本人もこの主張に添う供述をしているがこの外に右主張を裏づける証拠はなく、却つて証人池田捷司(第一、二回)藤田玖平の各証言原告本人訊問の結果、成立に爭のない甲第二十八号証の一、二(池田捷司証人訊問調書)を綜合すれば、被告は右契約書を通読し、その内容を池田の説明によつて理解し、且池田が期限内の建築完成を保証したので、之が完成しないことなどは全然予想しないで、安心して署名捺印したことが認められる。尤も「第三の契約」書は被告の到着前より、予め作成されていたこと、この調印に用いられた印顆は池田が被告に無断でその留守宅より取りよせておいたこと、右調印の席に森巍が同席しなかつたこと、被告は池田より午前十一時迄に來る様傳えられていたのに午後一時頃到着し、而も池田は午後一時頃新橋駅で他人と待ち合はせる約束があつたため、被告の遅刻を強く叱責し、この契約の内容の説明をいそぎ、且その調印を督促したため、被告はその内容を熟考し、且之れを完全に了解するいとまがなかつたことは、池田の証言(第一回)及被告本人訊問の結果によつてうかゞわれるが、前記意思表示の撤回を求める交渉については、被告及森はその一切を池田にまかせていたことは前に認定したとおりであるから、この契約の締結の席上に森が出席せず、被告がその内容の細部にわたつて理解しなくても之が有効に成立しなかつたものとすることは適当でないし、又錯誤の問題を生ずる余地はないものと判断される。
又被告は「第三の契約」は甚だしく被告に不利な一方的なものであつて、被告がその内容を理解していたならば、かかる契約を締結する筈はない旨を「事実」(五)(ロ)に摘示したとおり主張している。
この契約が一見甚だ被告に不利なものであることは所論のとおりであるが、被告は「第一の契約」の期限である昭和二十二年三月末日を徒過して「第二の契約」で之を同年十月末日迄延長し、更にこの期限も半年近く経過していたものであつて、その遅延の責が被告にあるか池田にあるかは別論として、いづれも原告に対抗できないことは前に認定したとおりであるから、昭和二十三年四月十五日附の原告の條件附解除の意思表示は原告が被告の誠意乃至能力に見切りをつけた最後通牒とも見られこれを撤回して貰うためには、被告が余程の誠意を披瀝し、且原告に有利な條件を附さなければならないことは当然であり、又原告の呈示する條件を被告が拒絶すれば、前記意思表示が効力を生じ、「第二の契約」が解除されて、被告は一切の権利を失うから如何に不利な條件に應じても被告の本件建物に関する権利が消滅しないならば、被告にとつて寧ろ有利なことは明らかである。然らば「第三の契約」が如何に被告に不利益なものであつても、尚契約を解除せらるるよりは有利なものであるから被告はこのことを理解すれば、悦んで之に署名捺印したであらうと考えるのが相当である。
十、これまでに、認定又は判断したことゝ、成立に爭のない甲第一、二、四号証(第一、第二、第三の契約書)の文面を綜合すると、「第三の契約」は次の通り解釈される。
(イ) この契約は從前の契約に追加されたものであるから、特に変更されていない部分は「第一の契約」又は「第二の契約」の通りである。從つて「被告は本件土地に間口五間奥行六間総二階建瓦葺の建物を建築し、之に窓廻り、戸仕切建具を附し、電燈、電熱、水道、瓦斯下水の工事を施工する。但し特別の施設及び器具は原告が負担する」こと及び「地主伊東家にたいする負担は毎月被告が負担する」ことは從前通りであつて、只設計は「第二の契約」で原被告共同でする様に改められたが、「第三の契約」で原告がすることに再び改められたから、それに從うことは勿論である。
(ロ) 第一條は、完成期限を昭和二十三年五月十日迄に延期すると共に、池田は後記第三條の請負代金の支拂を被告から受領することを條件として、右期日迄に建築を完成することを保証し、尚これまで建築完成が遅延したことの責任はすべて被告にあることを再確認した趣旨である。
本條中の「工事」が本件建物全体を指すものか、「右側の建物」のみを指すものかについて爭があるが、この「工事」の意味につき何等の制限も附せられていないし、又「第一の契約」も「第二の契約」も間口五間奥行六間の建物全体の建築を、被告が完成するものとして、特に「右側の建物」「左側の建物」と区別していないことからもこの「工事」は「右側の建物」の工事のみをいうものと解することは困難である。從つて、本條中の「工事」の意味は一應本件建物全体の工事を指しているものと解せらるるが、只本條は第四條の制裁規定と関連するから、この解釈につき、合理的な制限を附せらるべきことは後にふれるところである。
(ハ) 第二條中「本件家屋」及びその次の「家屋」の意義がいづれも爭になつているが、前に一及び六で認定された様に、原告自身は本件建物の一部たりとも被告の所有とすることは考えていなかつたし、そのことは本件土地の使用関係の上から当然でもあり被告もそのことをよく知つていたから、契約当事者は本件建物を左右に分割して考えることはなく、それが終局的には地主の所有に帰すべきものにしても、その前に一應全部原告に帰属すると考えていたものと認められ、從つて本條第一項後段の「家屋」は本件建物全体と解すべく、又本條第一項前段の「本件家屋」も特に後段の「家屋」と異つた意味に解すべき理由がないから、第二條の「本件家屋」も「家屋」もいづれも本件建物全体を指称するものと解すべきであり、本條は本件建物の所有権が原告に移轉すべき時期を定めたものにすぎない。
(ニ) 第三條の解釈については、工事代金を増額したものであるかどうかについて爭があるが、被告が池田に昭和二十三年五月十日迄に金三十万円を支拂う義務があることを定めたものであることは爭がない。そして本件建物の工事中工事代金を被告が支拂う義務があつたかどうかは別論として、少くとも工事の遅延は被告より池田に入金がなく、池田が困つていたためであり、このことは被告も再三の督促をうけて知悉していたことは前に認定したとおりであるから、現実に入金しなければ工事が完成しないことは「第三の契約」締結当時被告も十分理解していた筈である。從つて本條の三十万円は期限迄に現実に支拂わるべき金額を定めたものと解釈される。
(ホ) 第四條の「一切の工事」の意味を原告主張のように、本件建物全体の工事と解すると、完成後は被告が使用し、その完成遅延の不利益は被告のみが負うべき左側の建物が完成しないことによつて、被告が本件建物にたいする権利をうしなうことになるが、かかる結論は、本條が被告の度重なる不信行爲の末に原告が最後的に讓歩した契約に附せられた條件であるから如何に苛酷なものであつても、あながち不合理ではないと考えてみても尚條理にかなうものとはいいがたい。したがつて本條によつて被告に失権の制裁を課せらるべきものは、「右側の建物」の未完成と解すべきである。
この解釈は証人池田捷司の証言によつて認められる第三の契約締結当時池田もそのように考えていたこと、さればこそ池田は本件建物全体が期限迄に完成する見込がなくなつたときに「右側の建物」だけでも完成する様その使用人を督励したこと」によつてうかゞわれる「第三の契約」締結当時の当事者の意思にも合致するものである。
なお第四條の失権事由として被告が池田に三十万円を支拂わなかつた場合を加えているが、これは工事遅延の最大原因が資金難にあつたため被告が五月十日までに三十万円を支拂わない限り工事は完成しないであろうことを考えて加えられたものとみるべきであつて、原告としては約定期日までに建築が完成すればよいのであつて、被告と池田との関係如何は問題ではなかつたのであるから、仮に五月十日までに工事が完成したに拘らず被告が池田に三十万円を支拂わなかつた場合にもなお且つ被告を失権せしめる趣旨であつたとは到底考えられない。この点についての被告の見解は当事者の眞意を誤解しているものといつて差支えない。
(ヘ) 第五條、第六條については格別疑問となる点はないが、被告は第六條は被告の後援者森巍を殊更除外した趣旨で甚だしく一方的な被告に不利益な條項であると攻撃する。本條は森を考えて定められたものであることは、原告の明らかに爭わない事実であるが、森が被告の後援者として、本件建物の建築資金を支出すると称しながら仲々支出せず、又建築を円滑に進行させるというよりは寧ろ原被告間及び被告池田間の円満な関係を兎角破壞する様に行動し、却つて原被告間の関係をコヂれさせて了つたことは、証人森巍、池田捷司(第一回)藤田玖平の各証言及び被告本人訊問の結果を綜合して、うかゞわれる事実であるから、原告、藤田及池田が森を敬遠して、今後本件建物の建築につき介入しないよう配慮し、これを條件として、「第三の契約」を締結したことは無理からぬことであり、又原告より條件附解除の意思表示を被告が受領してからは、森は自ら原告との直接の折衝を避け、一切を池田に委任していたことは前に認定したとおりであつて、原被告間の交渉に森を千與させないことは寧ろ当時被告の望んでいたところであることがうかゞわれるから、この点に関する被告の攻撃はあたらない。
十一、池田捷司の証言(第二回)及びこれによつて成立を認めうる甲第二十一号証、成立に爭のない乙第五号証の二、六、七、を綜合すると、「第三の契約」を締結した昭和二十三年四月二十四日より同年五月十日迄の間に被告又は森より池田に現実に支拂われた本件建物の工事代金は合計十二万円にすぎないことが認められ、「第三の契約」第四條に定められた、三十万円を所定の期間内に支拂わなかつたことは明らかである。
被告は池田にたいし、昭和二十三年五月十日迄に立替金十八万千九百十二円五十銭をふくめ、合計四十六万余円を支拂つていて、その額は被告、池田間の契約によつて工事完成迄に支拂うべき四十万円以上に上るから被告に債務不履行はない旨主張するが、「第三の契約」は所定の期間内に現実に三十万円を支拂う趣旨であることは前に認定したおりであり、立替金を右三十万円のなかに充当しうるかどうかは、前に認定した三十万円を支拂うことを約した趣旨からも疑はしく、その立替金が被告主張の額に上るかどうかは、池田捷司の証言(第二回)及び甲第二十一号証によつて認められる、池田が被告の立替金としてみとめる金額は十三万八千九百七十二円にすぎないと主張していることゝ照しあわせて必ずしもそのまゝ信用することは困難であり、なによりも前記日時迄に被告が池田にたいして、工事代金債務と立替金とを相殺する意思表示をした証拠がないから立替金を工事代金と相殺できるか、その額がいくらになるかを判断する迄もなく、立替金を「第三の契約」の三十万円にくりいれることは不可能である。
十二、昭和二十三年五月十日迄に本件建物の建築工事がどの程度に進捗していたかについて判断する。
池田捷司はその証言(第一回)で、同日迄に「まだ足場はかゝつていたが、右側の建物はわずかな手直し部分を除き九割迄は完成していた。疊ははいつていたと思う。水道、電気設備は完成していたらしい、ガスは入つていなかつた。左側の建物は未完成だつた」と証言し、甲第二十八号証の一(池田の証人訊問調書)には「右側の建物は手直し部分を除き一應完成し、建具も入つていた。電気、瓦斯設備はなく雨樋もなかつた。水道工事はやつていたと思う。左側の建物のうち壁は荒壁だけで、土間のコンクリートは塗りかけであり、屋根瓦は完全にははいつていなかつたが、他は殆んど完成していた」と証言した旨記載され、同号証の二(同上)には「電気の配線工事は大体終り、水道は完成し、下水工事、ガス、ウインドウの設備は未完成だつた」と証言した旨記載されている。
この点に関し、藤田玖平は「右側の建物は荒壁が塗つてあつた丈で、雨戸もガラスも疊もはいつていなかつたし、電気も水道も手がつけてなく、階段や天井裏も未完成だつた」と証言し、原告本人も「疊も電気もガスも水道もはいつていなかつた」と供述している。
以上の証言及本人訊問の結果から考えると、当時本件建物のうち「左側の建物」は勿論「右側の建物」も前に十(イ)で判断した原被告間の契約で被告がなすべき工事を昭和二十三年五月十日迄に完成していたと認めることには相当疑問があり、眞正に成立したものと認める甲第七乃至第十二号証をみても本件建物の完成期限の前後に本來被告が施工すべき、疊建具の設置及び附属工事を原告自ら行つていることがうかゞわれ、殊に本件建物の写眞であることについて爭がなく、証人藤田玖平の証言によつて、昭和二十三年五月十一日頃撮影されたものと認められる甲第二十号証を参照すれば、本件建物のうち「右側の建物」といえども完成していないことは勿論、証人池田の供述するように「殆んど」完成していたとも常識上いゝがたいことは明らかである。
当時原告が本件建物に居住していたことは原告の明らかに爭わないところであるが、原被告間の契約によつて要求される程度に迄建築が完成していなくても居住はできるし、原告が建築完成を待ち切れずに本件建物にはいつたことは、原告本人訊問の結果によつて認められる事実であるから、原告が之に居住していたからといつて、之が完成していたとはいゝ得ないことは勿論である。
尚当時一般家屋に瓦斯設備工事がなされえたかどうかについて疑があるが、かりに之が不可能であつても他に多くの未完成部分があるから、本段の判断に影響はない。
十三、被告は池田にたいして、昭和二十三年五月十日迄に金三十万円を支拂わず且同日迄に本件建物のうち「右側の建物」といえども完成しなかつたことは、右に判断したとおりであるから「第三の契約」第四條に從つて被告は同日直ちに本件建物に関する一切の権利を失い、且被告と原告及び池田との間の從前の契約は一切解除されて、効力をうしなつたことは明らかである。
一方、原告本人訊問の結果によると、原告は本件建物に、昭和二十三年五月八日頃移轉したことが認められ、「第三の契約」第二條と前に十の(ハ)で判断したことから、原告は本件建物に居住すると共に、池田より之の所有権を取得することは明らかであるから、原告は右移轉と同時に本件建物全体の所有権を取得したものと認められる。
もつとも「第三の契約」第四條によれば、原被告間及び被告と池田の契約はすべて解除せられたことになるから、原告が一旦取得した所有権を失うはずであるという被告の主張も一應理由のあるところといえよう。然しながら、これまでに認定又は判断して來たところと成立に爭のない甲第二十八号証の一、二証人藤田玖平の証言及び原告本人訊問の結果を綜合すると、被告と池田間の契約においては本件建物の所有権移轉の時期について何等の特約がなく、「第三の契約」締結に際しては原告は他に住むべき家がなくて本件建物に一日も早く引移りたい希望を持つていたことから第二條のような約定が成立したものであること、工事が完成しない場合の制裁としては被告が池田をして工事を続行させ「左側の建物」の使用権を取得できないという点に議論が集中されていたこと、五月十一日以後の交渉においては藤田も池田も本件建物の所有権が依然として原告にあることを前提として金銭的解決につき折衝していたことが認められ、これと「第三の契約」第四條の末尾に「この場合被告は原告にも池田にも何の異議もいうことができない」と定められていることを併せ考えると、契約が解除せられたときは原告は一旦取得した所有権を再び失いこれが收去を得て別途に本件地上に建築を計画するという趣旨ではなくて、原告が一旦第二條により取得した所有権は契約解除によつても変動することなく、原告の所有権及び「左側の建物」の使用権について被告は何等の異議をいわない趣旨であつたものと解するのが相当であつて、ただ解除後被告乃至池田の出費を本件建物の当時の價格に相應する金銭で、原告が償還するか否かについて何等考えなかつただけにすぎないものと認められる。從つて被告のこの点についての前記主張は本件に関する限り採用できない。
十四、以上判断したとおり、原告は本件建物全体の所有権を有し、そのうち「左側の建物」を被告に使用せしめる義務がないことは明らかであるが、被告が「左側の建物」の所有権を主張し、その明渡を求めていることは、被告の反訴請求によつて明らかであるから、原告はかかる債務の不存在と本件建物にたいする所有権を有することの確定を求める利益があるものである。
十五、以上の判断によつて被告の反訴請求は理由がないことも明瞭である。
仍て原告の本訴請求を認容し、被告の反訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 小林哲郎)
別紙第一
契約書
曾我純一ヲ甲トシ勝見婦久ヲ乙トナシ左記契約ヲ締結ス
以下甲乙ト呼称シ本契約書ハ弐通作成甲乙各一通宛保持スルモノトス
一、乙ハ甲ノ提示セル設計ニヨリ左記二項ニ該当スル建築ヲ昭和二十二年三月末日迄ニ完成甲ニ提供スルモノトス
一項建築概要 間口五間奥行六間総二階瓦葺
二項造作概要 窓廻リ戸仕切建具及電燈電熱水道瓦斯下水ノ配線施工(特別ノ施設及器具ハ甲ノ負担タルコト)
一、甲ハ完成セル建物ノ半分向テ左側間口弐間半奥行六間ノ営業場所ヲ乙ニ讓渡シ乙ノ営業ニ極力声援ヲ爲スモノトス
一、乙ハ同所ニテ営業中其ノ賣上ノ五分(即チ百分ノ五)ヲ毎月末精算シ翌月五日迄ニ甲ニ提供スルコトトシ乙ノ都合ニヨリ休業月余ニ及ブ場合ハ月額金壱千円ヲ甲ニ提供スルコト
以上
別紙第二
契約書
曾我純一ヲ甲トシ勝見婦久ヲ乙トナシ左記契約ヲ締結ス
以下甲乙ト呼称シ本契約書ハ二通作成甲乙一通宛保持スルモノトス
一、乙ハ甲乙ノ設計ニヨル左記二項ノ建築ヲ昭和二十二年拾月末日迄ニ完成シ各自平等ニ分有スルモノトス
一項建築概要 間口五間奥行六間総二階建瓦葺
二項造作概要 窓廻リ戸仕切建具及電燈、電熱、水道、瓦斯、下水ノ配線施工(特別ノ施設及器具ハ甲ノ負担タルコト)
一、完成セル建物ハ其右側半分ヲ甲其左側半分ヲ乙ノ所有トシテ使用スルモノトス
一、伊東家ニ対スル負担ヲ毎月乙ニ於テ其支拂ヲ爲シ甲ニ負担ヲ掛ケザルモノトス
昭和二十二年八月十一日
別紙第三
契約書
曾我純一(甲と称す)
勝見婦久(乙と称す)
池田捷司(丙と称す)
右三人間で今般東京都中央区銀座五丁目二番地に丙が請負建築中の家屋に関し、從來の契約書に追加して左の條項を確約した。
第一條 甲の指示した建築設計に從い、乙の責任に於て昭和弐拾参年五月拾日迄に約束通りの一切の工事を完成させると共に今までの責任は負う。
丙は右期限を違はず工事を完成する。
第二條 右期日前でもとにかく居住が出來る程度に工事が出來次第甲は何時でも直ぐ本件家屋に引移り居住する。それと共に家屋は甲に帰属する。
乙も丙も右に対し何等の異議がない。
第三條 乙は丙に対し從來支拂つた金円の外に工事代金を左記の通り分割して支拂う。
左記
(一) 本日より昭和弐拾参年五月拾日迄の間に総額金参拾万円也を支拂うこと但し数回に分割してもよろしい。
(二) 其の余の残代金は精算の上本日から向う一ケ年間に月賦で支拂うこと但し元の請負契約書にある他の條項は変更しない。
第四條 乙が本日より昭和弐拾参年五月拾日迄の間に前記の金参拾万円也を丙に対して支拂はぬとき又は右期日迄に一切の工事が完成せぬときは更に通告などをするまでもなく当然乙は本件家屋に対する一切の権利を失うと共に甲と乙間、乙と丙間に於ける從來の契約はすべて解除され一切効力を失う。この場合乙は甲にも丙にも何の異議も言うことが出來ない。
第五條 此契約書成立と同時に甲から乙にあてた昭和弐拾参年四月拾五日附の催告書は消滅する。
第六條 乙は今後本件家屋に関する交渉の一切を丙に一任し他の何人にも依頼しない。
右契約の証として同一の契約書三通を作り各々左に署名捺印の上各一通を所持す。